2009年10月24日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 6433 count

西武多摩川線新小金井駅引き込み線跡と水路跡?

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日は東京農工大に行ってきたわけですが。通常、この施設の最寄り駅は東小金井とされます。サイトを見に行くと、最寄り駅として東小金井と武蔵小金井の2つが紹介されています。

 しかし、あらためて地図を見ているときに、はたと気づきました。

 実は西武多摩川線新小金井駅からも十分に徒歩圏内です。それどころか、どう見ても武蔵小金井よりも近いぐらいです。

 それにも関わらず、新小金井駅が最寄り駅として紹介されていない理由は簡単明瞭で、「それを利用するメリットが極めて薄いから」でしょう。中央線方面から来る場合はわざわざ西武多摩川線に乗り換えても手間が増えるだけです。かといって、京王線方面から来る場合、武蔵野台→白糸台の乗り換えが不便すぎます。

 しかし、今日は京王線から西武多摩川線に乗り換えて新小金井駅から歩きました。なぜかといえば、その方が乗り換え回数が少なく、気分的に楽だから。西武多摩川線も好きだしね。

新小金井駅引き込み線 §

 さて、ここからが本題です。

 かつて新小金井駅付近には2つの分岐線があったようです。

  • 駅南部より、南東方向に進む線
  • 駅北部より、北方向に進む線

 1つ目については、Googleさんに「新小金井駅引き込み線」と質問したところ、最初の候補がなんとAlice堂のWEBLOGさんの「西武多摩川線,新小金井南側からの引込み線: Alice堂のWEBLOG」でした。

 しかし、今日の目的地である農工大は逆方向になるので、この路線跡は追求せず。その代わり、同方向にあたる2つめの路線跡を少し調べてみました。

典拠 §

 国土地理院のサイトにある米軍撮影の航空写真にそれらしいラインが確認できます。また、米軍作成の地図(Tokyo City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946)にもラインが描かれています。Sheet 6 - Tanashi (3.0 MB) より問題の箇所を切り出すと以下の通りとなります。

Tokyo City Plansより

 GoogleMaps上でおおまかにラインを引いてみると以下のようになります。

 ちなみに、E点は道路と高圧送電線のラインから割り出しているので比較的(※)正確ですが、他は山勘で引いたラインです。E点以降に本当に続いているかは定かではありません。地図では続いているように描かれていますが、航空写真では続いていないように見えるものもあります。

※ 道路の位置はおそらく変わっていませんが、送電鉄塔の位置は立て替え等でずれる可能性があります。

 現在のE点(歩道上)より南を見た光景は以下の通りです、。

現在のE点より南を見た光景

 おおむね、この写真の道路の位置に線路があったと考えて良さそうです。

水路跡だろうか? §

 しかし、上記の経路確定を進めている過程で気になるラインが見えてきました。地図では道路として扱われていませんが、以下のA点からB点までの間、線路をまたいでまっすぐ直線のラインが航空写真には見えるのです。

 もちろん、ここも(北側だけですが)、現地を見てきました。A点付近より南を見ると以下のような感じです。

水路跡だろうか?

 実際に奥まで歩いてみましたが、線路に行き当たってそこで行き止まりです。どこにもつながっていません。

 状況としては、いかにも水路跡のようなムードも感じられます。直線的であることから、人工的な農業用水の跡かもしれません。手前の排水口の下からは水が流れる音が聞こえたので、現状は暗渠という可能性も考えられます。

仮説・線路が曲がる必然 §

 仮にこれが水路跡であり、ここに水路が存在したとします。すると、この引き込み線が本線から離れる方向に曲がっている理由が説明できるかもしれません。つまり、最終的にこの引き込み線のラインが水路のラインと平行することから、「本線が水路を越えるのは避けられないが、引き込み線に小さくとも橋を造るのは避けたかったので、橋が要らない方向にカーブさせた」とも考えられます。

 しかし、詳細は地元の郷土史研究家の手に委ねる方が良さそうですね。

感想 §

 またしても、線路、道路、水路、送電線の組み合わせで考察を進める全方位3次元郷土史の世界に入り込んでしまいました。このあたりは送電線も水路も豊富にありそうで、有効性は高そうです。

下高井戸周辺史雑記